お別れはあまりに突然に

 お別れしなきゃいけない日は、あまりに突然やってきた。

ちょうど2週間前、電話してたんだよね。

余呉の大雨被害が心配で、夜ご飯が終わる頃にかけたら案の定、ご飯が終わって高齢者住宅の人たちと浸水のニュースを見ていた、と。

いつもなら夜は遠慮してかけないけど、この日は迷ったけどかけた。それが最後になるなんて本当に思わなかった。


声は元気だったから。

「ほうか、○○ (地区名) も浸水あったんか。ニュースでは詳しく分からんからな、あとで姉さんに電話してみるわ」


認知症が緩やかに進んで、名前もぱっと出てこない、少し前に会ったことは分からないので、本人は困惑してたけど。忘れた、わからんとは絶対言わなかったね。


とても楽天的な性格だけど、この前の電話で一言「ばぁちゃんダメやわ」とだけ言ったのが心に残る。口にしなかったけど、悔しさがあったんだろうか。どんな気持ちだったの?


あの時、私は余呉の被害がとても気がかりで、SNSを使って近隣の施設に被害状況を確認したりしていたんだけど。高齢者住宅で暮らすおばあちゃんは「ここは離れてるし大丈夫や」っていつも通りだったから安心して、また電話しようくらいに思ってたよ。


私も「家は大丈夫。心配しなくていいから」と伝えて、亡くなる数日前にはおじさんおばさんが連れていってくれて、久しぶりに家に帰れたそうで。おばあちゃん、少しは安心したのかな。


        *****


最愛の祖母が旅立ちました。90年も生きたの?って驚く。おばあちゃんというと、なぜか78くらいのイメージでさ。


私が子どもの頃、山道をせっせと精米機があるところまで歩くおばあちゃんを追いかけてついていったっけ。他のもっと上のおばあちゃんたちに可愛がられた記憶があるよ。恥ずかしくておばあちゃんにくっついてたと思う。


おばあちゃんは近くに住む3姉妹の一番年下だから、いつもおばあちゃんたちの中では一番若かったんよね。


ユーモアがあって、頑固で、農作業のことを仕事と言っていて、もっと若い頃はギッコギッコと内職をやって働き者だった。もともとは地元の刺繍組合で働いていたそう。


多趣味で何でも楽しんでやってみる精神はおばあちゃんからもらったみたいでうれしいよ。


趣味の大正琴では、冬のソナタとかポニョとかポップな曲をペンペンと弾いてて笑ったなぁ。


高齢者サロンでつくった土の置物とか、また見たいな。4,5年前は、独居老人の会といってカラオケ参加中に電話して、帰りを見計らって突然会いに行ったっけな。びっくりした顔で笑ってたね。


おばあちゃんに余呉でもう会えないなんて本当に悲しいよ。


最晩年は入退院を繰り返していたけど、何度も復活したおばあちゃん。大きな手術をした後も「体どう?痛くない?」って聞いたら「いまはどもない (=何ともない) 」って、いつもそう答えてた。ほんとすごいなと思っていたよ。


2週間前の電話で最後に「また会いに行くし、元気でね」と言ったけど無念。お葬式を終えてもまだどこかで会える気がするし、電話に出てくれるような気がしてしまうけど。先立つおじいちゃんと会えたかな。


痛みから解放されて安らかに。おばあちゃんらしく楽しく過ごしてね。


心よりご冥福をお祈りします。





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